朝鮮文化の基調をなすのが、「恨(ハン)」の思想である。単なる恨み、辛みではなく、悲哀、無念さ、痛恨、無常観、優越者に対する憧憬や嫉妬などの感情をいう。識者は様々に定義している。

 呉善花は

「日本では、怨恨の『怨』も『恨』もだいたい同じ意味で使われていると思います。しかし韓国の『恨』は、韓国伝統の独特な情緒です。恨は単なるうらみの情ではなく、達成したいけれども達成できない、自分の内部に生まれるある種の『くやしさ』に発しています。それが具体的な対象をもたないときは、自分に対する『嘆き』として表われ、具体的な対象を持つとそれが『うらみ』として表われ、相手に激しき恨をぶつけることになっていきます」
と説明する。(『朴槿恵の真実』、文春新書、2015年、229p)

 また、韓国思想史専門家の小倉紀蔵は、

「<ハン>という韓国語に最もよくあてはまる日本語は、「あこがれ」なのである。もちろん<ハン>には『恨み』という意味はあるのだが、単なる恨みではなく、そこにはあこがれの裏打ちがあるのである。・・・そして<ハン>は上昇へのあこがれであると同時に、そのあこがれが何らかの障害によって挫折させられたという悲しみ・無念・痛み・わだかまり・辛みの思いでもある」
と解説している(『韓国は一個の哲学である』、講談社学術文庫、2011年、51p)。

 「恨」については、以上のように色々な解説が可能であるが、怨念や被害妄想につながることも忘れてはならない。日本による植民地支配に関しての感情がそうである。李圭泰氏は、『韓国人の情緒構造』(新潮選書、1995年)の中で、次のように述べている。

“心の中に傷をじっとしまっておく状態が「恨」なのだ。・・・(中略)・・・原義の「恨」は怨念を抱く状態、そして怨念を抱くようにした外部要因を憎悪し、またその怨念を抱いた自分自身のことを悲しむ、そうした属性をも含んでいる。

・・・(中略)・・・このような怨念の蓄積は韓国人の「恨」に別の意味を派生させた。韓国人の「恨」を構造的に調べてみると、怨念以外の被害者意識が絡んでいる。韓国人は、国民は官憲の被害者であり、貧しい者は富む者の被害者であり、野党は与党の被害者であると思い込んでいる。“(126〜127p)。

 2014年に7月25日に、私は、ソウルの青瓦台で朴槿恵大統領と会談した。私はまず大統領と握手するが、大統領よりも私のほうが背が高いので、私が深々と頭を下げなければ握手ができない。それを映像で見せつけることによって、韓国メディアはあたかも私が朴槿恵大統領に臣下のごとく振る舞っているかのようなイメージ作りをした。私は東京都知事であり、一国の国家元首にお目にかかるときには、それなりの敬意を払うのは当然だと思っている。しかしながら、この握手シーンを韓国の国威発揚のような感じで流すのは、いかにも大人げないし、「恨」の感情なのかなと思ったりもした。