まっとうな政党とは、とても思えない

 いつの時代にも、地位欲、名誉欲を満たすことだけを考えて議員になろうとする者がいます。今回の総選挙は、平成期ではちょうど10回目で、最後となるわけですが、このような「欲求充足型候補」の割合が最も高くなっていると実感します。言えばおろか、希望の党の誕生です。

 総選挙が公示される前、メディアはこぞって、希望の党の奇行、逸脱ぶり、同党の公認候補(予定)者の悲哀、葛藤を報じました。報道された内容は、皆さんもご存じのことですので、ここではあえて言及しません。希望の党は、組織としては政党の形をとっていますが、私は、そう考えないことにしています。

自らの個性を押し殺しながら、大衆向けにその瞬間、さらに次の瞬間、ウケの良いメッセージをひたすら発し続ける“政治芸人”の集まりと理解しています。そうすれば、公約を出したり引っ込めたり、政策レベルで語りえない件を公約として掲げてみたり、言い訳をしたり、開き直ったり、あらゆる奇異な振る舞いを、冷静に受け止めることができます。

 それでも私は、政治芸人の皆さんに、ぜひ聞いてみたいのです。「安倍一強政治をストップさせたい」と本気で思っていますか? そのような義憤に駆られ、選挙運動に邁進している人は、どれくらいいるのでしょうか。

衆議院議員の職責を軽く考えすぎ

 政治芸人の皆さんは、衆議院議員(国の立法機関の一員)になることを軽く考えすぎてはいませんか。日本国憲法を読んでいただければ分かりますが、議員の仕事イコール、法律を作ることだけではありません。

 総選挙が終わった後、特別国会が開かれます。会期の初日には早速、「内閣総理大臣の指名」という大仕事が待っています。新たに指名を受けた内閣総理大臣は、他の国務大臣を任命し、内閣を発足させます。

その内閣は、最高裁判所の長官を指名し、長官を除く裁判官、高等裁判所その他の下級裁判所の裁判官を任命する権限を持つことになります。この一例だけでもわかるように、内閣総理大臣の指名とは、総選挙後に必ず行われる「国家統治のリセット設定」であって、行政、司法の各作用に、その効果がストレートに及ぶ重大な決定なのです。

 それにもかかわらず、「誰を指名するか決定することなく、総選挙に臨む」、「誰を指名するか、総選挙が終わってみないと分からない(答えられない)」というのは、いったいどういう憲法感覚、政治感覚をしているのでしょうか。

 世の中には、包丁職人がたくさんいます。包丁を作る人、包丁を使って仕事をする人、そのどちらも、包丁の怖さを十分に分かっていて、作業のさいには細心の注意を払っています。これは、包丁職人として、ごく当たり前の態度です。

もし、包丁の怖さを知らないで、職人ぶった扱いを始めたらどうなるでしょうか。自分はもちろん、周囲の人たちをとても危険にさらすのです。政治芸人の皆さんは、包丁よりも危険なものを持って仕事をするという自覚はあるのでしょうか。自分が就こうとする職業の危険な側面について、基本的な心得を持っていただくことが先決です。

少数派を救う気概、覚悟はあるのか

 希望の党の代表は、公示前の各党討論会で「国民ファースト」という語を使いました。「国民」の意味をどう捉えるかで、政策の方向性が変わりうるところですが、具体的な説明はありません。「都民ファースト」なる語も、先行して使われています。いずれも没価値的で、英単語も入って格好よく聞こえますが、肝心の中身を欠いているのです。海援隊の曲に「あんたが大将」(1977年)というのがありますが、その意味するところは大して変わりません(と言っては、海援隊に対して失礼に当たるかもしれませんが)。

 「政治をリセットする」とも言われます。それでも、政治の何を、どのようにリセットするのでしょうか。そして、一般の市民とは、どう向き合うのでしょうか。現に、社会の多数派に属している人たちを多数派に置いたまま、一定の政策変更をする程度では「リセットする」とはいえません。

少数派に属している人たちの力となるべく政治を動かそうとすれば、まずは現行のルールを変えなければなりません。ルールを変えるためには、議会の中で多数派になるか、少数派でありながらも多数派の合意を得るとか、相当な努力が不可欠となります。政治芸人の皆さんには、少数派の人たちを救う気概、覚悟はあるのでしょうか。