生まれては消え、合従連衡を繰り返し、勝者のみが巨大化していく外食チェーン業界。なぜこんな“戦国時代”に突入したのか? 子どものころからこうした飲食店によく足を運んでいたというライターの村瀬秀信氏が、現在の勢力図を描く(文中敬称略)。
出典:「文藝春秋」2017年9月号(全2回)

 連日続く夏の湿っぽい暑さにどうしても耐え切れず、まだ日も明るいうちに、上野駅近くの居酒屋が何軒も入っているビルに全速力で駆け込んだ。

 昔から慣れ親しんでいる居酒屋「坐・和民」へ。キンキンに冷えた生ビールで喉を潤し、店員おススメの焼き鳥(タレ)に舌鼓を打つ。安定のコンビでホッと一息ついたところで、下の階には低価格と鶏料理の豊富さで人気の「三代目 鳥メロ」があることに気が付いた。

歌手も居酒屋も最近は「三代目」がいいらしい。店内を覗いてみると、なんと満席。女性客はほぼおらず、サラリーマンらしき男性ばかり。10分ほど待ってようやく席にありつく。名物だという「ぷるぷるダレの炭火焼鳥」がとにかくうまい。ん? 形に見覚えがあるぞ。店員曰く「タレと炭火で焼いているのが売りです。鶏肉自体は、実はワタミと一緒なんですけどね」。ん? 彼はいまワタミと一緒と言ったか?


"居酒屋ビル" ©文藝春秋

 何となく釈然としない思いを抱えながら、いつまでも飲み続ける仲間と上の階にある「BARU&DINING GOHAN」という小洒落たバルで飲み直す。照明を落としたしっとりとした雰囲気の店内は、女性客やカップルなどの姿が目立つ。カクテルのつまみに「フライドチキン スパイス&ハニーマスタードソース」を頼んでみる。スパイシーな鶏肉にハニーマスタードの甘辛さが絶妙である。思わず店員に賞賛を贈ると、「ありがとうございます。味付けや調理の仕方が違うだけで、ワタミのから揚げと同じ鶏肉を使っているんですけどね」。

 ……ひっくり返った。

 そう。名前も形態も違うこの3店舗、すべてがワタミグループの系列店だったのだ。

 このビルの事例だけではない。いま外食チェーン業界はM&Aが進み、グループ内の系列店で食材を共有することで、コストを低く済ませるマスマーチャンダイジングシステムが浸透している。それゆえ、どの店に行っても同じようなメニューがズラッと並ぶことが珍しくない。

 ことの是非はひとまず置いておいて、我が国の外食チェーン業界は群雄割拠の戦国時代。生まれては消え、合従連衡を繰り返し、勝者のみが巨大化していく。祇園精舎の鐘の声。盛者必衰の理をあらわす。こんな時代になぜ突入したのか。

 筆者は子どものころから外食チェーン店にはよく足を運んでおり、気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べていた人間である。日本における外食チェーン誕生からの歩みを振り返り、昔とは様変わりした現在の勢力図を描いてみたい。


禁無断転載/文藝春秋

ファミレス誕生秘話―黎明期

 小学生のころ、「すかいらーく」のハンバーグは何物にも代えがたいご馳走だった。美味しくて楽しくて、まるで遊園地に行くかのような高揚感に満ちていた。「あの看板の鳥は、チルチルミチルの青い鳥」とあまりにも毎日執拗にねだる息子に母は「あれは食べたらアホになるアホウ鳥だ」と嘯(うそぶ)いたほどである。

 外食チェーンの興りを探っていくと1970年という年に集約される。2月に米マクドナルドとの資本提携を探っていたダイエー創業者中内㓛が、東京・町田市に日本初のハンバーガーチェーン「ドムドムハンバーガー」を設立すると、3月には大阪万博に、福岡のロイヤルがレストランを出店して大盛況となった(翌年、北九州市に「ロイヤルホスト」1号店を開く)。

 そして7月。東京・府中市の国道沿いに開店した一軒のレストランが、我が国におけるファミリーレストランの始祖鳥、「スカイラーク」である。長野県諏訪市出身の横川四兄弟が作った日本で初めての“ファミレス”。その中心的存在が三男の横川竟(きわむ)だ。


すかいらーく時代の横川氏 ©文藝春秋

 横川は17歳で築地の食品問屋に奉公に出て、1962年、兄弟を呼んでひばりが丘でことぶき食品という食料品店を開く。いまでいうコンビニエンスストアのような業態だ。最大6店舗まで増えたが、大手の西友が出店してきて大赤字に。次の事業をどうするか考えたとき、当時の日本では遅れていると感じた外食産業に注目した。横川は言う。

「外食先進国のアメリカに視察に行きました。僕らが注目したのは特に『デニーズ』や『サンボ』など、アメリカではコーヒーショップレストランと呼ばれていた24時間営業の店。マクドナルドのようなファストフードと違い、テーブルサービスが重要なこの業態なら、自分たちがやってきた個人商店的な能力が活かせると考えたんです」

 1号店を作った「府中市の鳥」がひばり。かつて商店を経営していた場所がひばりが丘だったため、店名はひばりの英語名“スカイラーク”とした。当時の外食店は駅前にあるのが普通。国道沿いの郊外にあるのはドライブインぐらいで、洋食のレストランとしては異例だった。当時は「ハンバーグ&エビフライ」、「ハンバーグ&カキフライ」が主力のメニュー。当初の目標は三多摩地区に30店舗だった。

「狙ったのは郊外に住むファミリー層のために、綺麗でサービスも親切、そして安くてとにかく美味しい料理を出すこと。でも寝ないで働いたけれどお客さんはなかなか集まらず、僕はサクラばっかりやっていました(笑)。資金繰りも大変で家も売ってしまった」(横川)

 転機となったのは1973年。

「ある小学生が書いた作文が表彰されたんです。『夏休みにどこにも行けなかったけど最後に両親がスカイラークに連れて行ってくれたら、楽しくて、美味しくて、とても感激した』という内容でした。その影響で家族層のお客さんが集まり始めた。さらにある新聞が、『最近郊外にファミリーで食べに行くレストランが出現した』という記事を書いてね。僕らはそれを読んで『ファミリー』と『レストラン』を併せた言葉はいいんじゃないか。使おうと。店の名前もひらがなに変えて『ファミリーレストランすかいらーく』が生まれたんです」(横川)

 すかいらーくの成功に続けとばかりに、ファミリーレストランは増えていく。1974年にはイトーヨーカ堂が米デニーズと契約を結んで「デニーズ」を横浜にオープン。アメリカからレシピ、調理器具類を日本に持ち込み、本格的なアメリカンメニューも提供できる店をつくり上げた。1978年にはサラダバーの先駆け「ビッグボーイ」が箕面市に、1980年にはカリフォルニアスタイルのレストラン「ココス」が土浦市にと、アメリカで名を成した強豪レストランチェーンが続々と上陸。ココスは茨城を中心に店舗を展開、一時筑波研究学園都市は道を行けども行けども研究施設とココスしかない、という有様だったとか。