かつて結婚とは「世に一人前として認められるステップの一つ」と言われていました。家庭を持ち、家族のきずなを保ちながら社会の一員として貢献していくことはごく当たり前の発想であります。

しかし、今の方にこんなこと言うと「うぜぇー」と言われるのが落ちでしょう。もちろん世の結婚観を一括りで述べることはできません。しかし、トレンドというものはあるわけで現代社会の常識が次の世代に受け継がれていく過程において高齢者からは「今の人はよくわからん!」とコメントされることになっていくのでしょう。

明治安田生活福祉研究所が毎年発表している「結婚の意識調査」で今年の統計が発表されました。興味深いのはなぜ、結婚、交際をしないのか、に対して「どのように交際したらよいのかわからない」「出会いがない」がそれぞれの回答に男女とも30%程度反応している点です。

「どのようにしたらわからない」というのは実に奇妙な回答です。学校で習う授業ではないのですから必ずしもこうしなくてはいけないというルールがあるわけではありません。そして「出会いがない」は魅力ある相手がいないとも言えるのでしょう。

これはネットによる若者の価値観の均一化があるように思えてなりません。多くの人は今、ネットに夢中です。そして大抵、年層ごとに読むニュース、情報は似たものとなります。するとインプットされるものが皆、似たようなものになり、個人間の差別化が以前ほど明白に出ない可能性は否定できないでしょう。そうすると本来、全ての人が持ち合わせている個性が埋没してしまい、「ハッとする」相手が見つかりにくくなっているのかもしれません。

勉学はどうでしょうか?日本の塾事業を通じて感じるのは変わろうとしているけれど変われない教育界があります。そして先生はモンスターペアレンツを恐れ、先生自身も没個性化しているように感じます。相変わらず偏差値主義も横行しています。しかし、一部学校では才能ある子女を成績で画一的に判断せず、積極的に採用する動きがあることも事実です。個人的にはこれがもう少し広がってくれればと思っています。

一方で子供たちにやらされ感を感じます。子供の個性は子供同士の交流から生まれるものだと考えています。双方が刺激し合っていろいろなものに挑戦し、その中で本当に好きなものを見つけるというプロセスがあったはずです。それこそ、昔は川に魚を取りに行き、神社にセミを取りに行き、校庭では暗くなるまで遊んでいました。

あるいは怪我をし、知らない大人に怒られ、喧嘩し、迷子になることで学ぶものも多かったのですが、最近は事故や誘拐などに親や学校がより敏感となり、そのような遊びはめっきり減ってしまい、子供たちの自律的行動が制御され、大人により束縛されているところがやらされ感に見えるのかもしれません。