久しぶりに国内政治をテーマに取り上げてみました。それというのも、安倍内閣の支持率が急落しているから。その理由は最近の新聞紙上を賑わす出来事よりも、「平成30年史」を振り返ってみるとよく分かる、というのが本号の仮説です。

政治改革、行政改革、そして構造改革と、平成は「改革の時代」でありました。そのためには「強い首相が必要」と、さまざまな制度改革が試みられました。それが今では「安倍一強」体制となり、周囲の「忖度」を招いている。とはいえ、どういう経緯でそうなったのか。「平成30年史」を回顧してみると、いろんなものが見えてくると思います。

●内閣支持率急低落の理由はどこに?

安倍内閣の支持率低下が止まらない。7月2日の東京都議会選挙における「自民党の歴史的大敗」から、世の中の空気が一度に変わってしまった感がある。

普通の人は、政治のことなど気にせずに日々を過ごしている。だから「支持率が下がっている」というニュースに接すると、「なるほどそうか」と納得して次の調査ではもう一段、低い数値が出る。そこは想定の範囲内なのだが、とにかく落ち方が異常なのである。

通信社2社による世論調査のデータを次ページに掲げてみた。

ここから読み取れるのは、以下のような変化である。

*内閣支持率は過去4年半で最悪。支持率と不支持率が逆転。

*自民党の支持率はそれほど悪化していない。民進党は批判の受け皿になり得ていない。

*5月までは安定していたが、6月と7月だけで急落している

支持率低下にはいろんな理由が語られている。「森友/加計学園」「共謀罪」「憲法改正への反発」などである。<これに閣僚の問題発言やら、「魔の2回生」による暴言テープなど、いろんな材料が重なったことは今さらここで繰り返すまでもない。

とは言うものの、正直、これだけの変化が起きるのは不思議なのである。2014年の特定秘密保護法案、15年の集団的自衛権の解釈変更など、大きな政策転換があったときも、世論の変化はこれほど急激ではなかった。そもそも安倍政権の姿勢は、ここ2カ月で急に変わったわけではない。実は変化があったのは、「民意」の側だったのではないか。
先月18日、通常国会が閉会した。この国会で決まったいちばん大切な法案は、「天皇陛下の退位に関する特例法案」であろう。これによって、来年末には今上陛下は退位し、2019年からは新天皇が即位することが明らかになった。つまり、あと1年半で平成は終わる。おそらく来年の今頃には、新しい元号も決まっているはずである。

筆者の仮説は、有権者は「平成の終わり」を意識し始めており、それが内閣支持率に化学変化をもたらしている、というものだ。もちろん「昭和の終わり」の時ほどではないにせよ、「間もなくひとつの時代が終わる」という意識が知らず知らずのうちに、メンタルな変化をもたらしているのではないか。

ところがそんな空気には無頓着に、既に4年半も続けている首相が、党の規定を変更して任期を2021年まで延長し、さらには2020年の憲法改正に言及している。これでは、さすがに「うんざり」してきた。つまり今回の支持率急落は、単に「長期政権が飽きられた」ということが本質なのではないか。

安倍首相としては、今までと同じ調子でやっていたところへ、国民の気分が急に変わってしまったわけである。昭和の末期から平成の初期にかけては、消費税の導入やリクルート事件なども重なって、国内政治は混乱が続いた。平成も終わりが近づくにつれて、今後の国内政治は大荒れになってしまうのかもしれない。

●平成、4つの改革を振り返る

あらためて平成の歴史を振り返ると、過去4年半の安倍政権はほとんど例外的な安定期であり、数多くの短命政権を使い捨てにしてきた政治の不安定期であった。

平成最初の首相である竹下登は、「歌手1年、総理2年の使い捨て」との戯れ歌を残し、ご自身も2年を待たずして退陣している。そしてそれ以降の総理大臣は、「竹下―宇野―海部―宮沢―細川―羽田―村山―橋本―小渕―森―小泉―安倍―福田―麻生―鳩山―菅―野田―安倍」と、実にのべ18人も入れ替わっている1。長期政権であった小泉純一郎の5年半と後半の安倍晋三の4年半を除外すれば、実質19年を16人で担ってきた計算となり、「総理2年」どころか平均1年強の任期しかなかったことになる。

その一方で、平成はさまざまな「改革」と取り組んできた時代でもある。「平成30年史」は、改革のテーマごとに5つに分類すると分かりやすくなる。

(I)政治改革:1989年(平成元年)から1996年(平成8年)まで
*自民党から細川・村山政権へ。政治改革4法案が成立し小選挙区制を導入。

→成果:政権交代可能な選挙制度となり、政治腐敗も縮小した。

→課題:政治家が小粒化し、活力が失われたとの批判がある。

(II)行政改革:1996年(平成8年)から2001年(平成13年)まで
*自公連立で政権安定化。橋本政権は従来の従来の22省を1府12省に再編。

→成果:内閣官房や内閣府の機能が強化され、首相の権限が強まった。

→課題:同時進行の「財政構造改革」で景気が腰折れ。小渕政権では支出拡大へ。

(III)構造改革:2001年(平成13年)から2007年(平成19年)まで
*小泉政権時代。「小さな政府」「官から民へ」の掛け声の下に規制緩和が進む。

→成果:道路公団民営化、郵政民営化などを実現。懸案の不良債権処理も前進。

→課題:貧富の格差拡大や東京一極集中などへの批判を招く。

(IV)揺り戻し:2008年(平成22年)から2012年(平成25年)まで
*民主党への政権交代が実現するも、その後は短命政権が続く。

→成果:「政権交代可能な二大政党制」へ前進。マイナンバー制度を導入。

→課題:「仕分け」などを試みるも、この間に改革は停滞。

(V)外交・安保改革:2013年(平成26年)から今日まで
*安倍首相が2度目の登場。経済でアベノミクス、外交でも新機軸を打ち出す

→成果:日本版NSCを創設し「地球儀外交」を展開。集団的自衛権の解釈変更。

→課題:「アベノミクス」は景気を好転させるも、その評価は時期尚早か。

●「平成」が追い求めてきた「強い首相」

平成30年の歴史を貫く「政治改革~行政改革~構造改革~外交・安保改革」という流れには、共通のキーワードがある。それは「強い首相」であった。

明治憲法の時代から、日本の首相は権限が弱かった。陸軍大臣や海軍大臣が辞めると言い出せば、首相は政権を投げ出す以外に方策はなかった。ゆえにほとんどの内閣は短命であった。そして首相の指導力が弱かったからこそ、政府は軍部の暴走を止められなかった。「怖れるべきは、強い首相よりも弱い首相」というのが、戦前の教訓である。

「弱い首相」の伝統は戦後も引き継がれた。それでも高度成長が続き、冷戦下で安定した国際環境が続く間は、取り立てて問題は生じなかった。昭和の日本人は、半分は自虐、半分は誇りを込めて、「経済は一流、政治は三流」と国のありようを称したものである。当時は政治の大きな決断は不要であり、それならば政治家に強い権限を持たせる必要などなかった。平時のことは、官僚に任せておけばよいというのがコンセンサスだった。

それが通じなくなったのは平成になってからである。バブルが崩壊し、経済成長率は低下し、失業率も上昇した。不良債権問題が深刻になったにもかかわらず、政治は金融機関への公的資金注入の決断ができなかった。そもそも官僚機構は、後ろ向きの決断が得意ではない。「利益の分配」はできても、「負担の配分」には躊躇する。右肩上がりの時代が終わると、あらためて政治の指導力が必要になったのである。

1990年に湾岸危機が発生した際も、日本政府は機能不全を露呈した。増税をして、130億ドルもの財政支援を行ったが、クウェート政府からの感謝の対象から外れてしまった。国際貢献を求める声の高まりから、1992年には自公民3党が自衛隊の海外派遣を認めるPKO法案を提出する。社会党などの野党議員は牛歩戦術で抵抗し、深夜の国会は不気味な光景を呈した。それは「決断できない日本」の姿そのものであった。

1995年の阪神大震災とオウム真理教によるテロ事件、1998年のテポドン発射、2001年の同時多発テロ事件などのように、安全保障上の危機がたびたび重なったことも、首相の権限強化の必要性を認識させるものとなった。昭和という安定した時代が去り、平成という時代を迎えてはじめて、政治のリーダーシップが必要になってきたのである。

しかし、制度として弱い首相に、強い指導力を期待することはできなかった。平成の短命首相の中には、選挙敗北の責任を取るわけでもなく、党内から引き摺り下ろされることもなく、「ある日突然に」政権を投げ出した例が呆れるほど多い。1991年9月には海部首相が、1994年4月には細川首相が、1996年1月には村山首相が、そして2007年9月の安倍首相や2008年9月の福田首相も、その「辞めっぷり」は鮮烈な印象を残している。

そのたびに国民は「ああ、またか」と受け流したし、諸外国からは「首相が辞めても困らない不思議な国」と受け止められたものである。ただし2011年3月の東日本大震災の後には、「さすがにこのままではいけない」と誰もが痛切に感じたはずである。