「共謀罪」の国会での審議が続いています。
賛成するにしても反対するにしても、可決されるにしても廃案になるにしても、まだ遅くないので、ともかくこれだけは知っておいてほしい――憲法や法律解説のわかりやすさでは右に出るものがいない、伊藤塾塾長・弁護士の伊藤真さんによる、緊急レクチャー第2回です(全3回)。(構成 岡田仁志)

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■犯罪でなかったことが犯罪になる、ドラスティックな変化

前回は、共謀罪が必要だとする、政府が掲げるふたつの理由が理由になっていないというお話をしました。だとすると、誰が何のために共謀罪を必要としているのでしょうか。

私は、警察官僚が自分たちの権限拡大のために求めているのだろうと推察しています。というのも、共謀罪は「何を処罰すべきか」という犯罪の概念を広げ、その本質を変えてしまうものだからです。今回の共謀罪法案には、多くの重大な問題点がありますが、私は第一にこの点を挙げたいと思います。

犯罪はもちろん処罰されるべきです。ですが、刑罰は国家権力による最大の人権侵害ですから、その適用は必要最低限に抑制しなければいけません。それが日本国憲法の基本精神です。処罰の対象を広げれば広げるほど、犯罪は抑止されるかもしれませんが、代わりに、私たちの人権は国家権力による侵害を受けやすくなる。つまり、「安全」を求めることで「自由」が犠牲になるわけです。

その「安全」と「自由」のバランスを大きく変えようとしているのが、今回の共謀罪です。

現行の刑法は、犯罪の「行為の危険性」を処罰することを基本としています。犯罪が実行されなければ、基本的には処罰の対象になりません。しかし、たとえば殺人のような重大な犯罪は、実行される前の段階で処罰したほうがよいと考える人が多いでしょう。そのため、犯罪によっては、結果が出るひとつ手前の段階である「未遂」、さらにその手前の「準備」の段階でも、一定の危険性を認めて、処罰できることになっています。ただし、刑法はあくまでも実行行為を処罰するのが「原則」、「未遂罪」や「準備罪」はあくまでも「例外」です。

共謀罪では「共謀」が処罰の対象となります。共謀とはふたり以上の者が犯罪を行おうとする合意です。つまり、「準備」のさらに手前の段階を処罰の対象にするものですから、犯罪の概念を時間的に広げることになります。

しかも、未遂や準備は具体的な「行為」を伴うのに対して、共謀は何らかの形で犯罪行為に「合意」しただけで成立するので、「行為の危険性」を処罰対象にするという刑法の基本に合致しません。犯罪体系が、「行為の危険性」を処罰するものから「内心の危険性」を処罰するものに変わってしまうのです。

(法案では、共謀ののち、だれかひとりが犯罪の準備行為に着手することが要件になっていますが、共謀が処罰の対象になっていることには変わりありません。しかも、何をすれば「準備行為」になるのかが、きわめて曖昧であるという問題もあります。これについては後述します)

さらに、拡大されるのは犯罪の時間的な面だけではありません。犯罪は実行犯がひとりで行うのが基本であり、教唆犯(「あいつを殺せ」とそそのかす等)や幇助犯(殺害のための毒を用意する等)は、それを「例外」として拡大したものです。ところが共謀罪が成立すれば、合意形成に関わっただけで処罰対象になるわけで、犯罪が時間的に拡大されるだけでなく、「人的」にも拡大されることになります。

現在の刑法で未遂、準備、教唆などが犯罪とされるのは、あくまでも「例外」としての概念拡張です。これに対し、共謀罪は277もの犯罪を包括する一般的な法律なので、それはもう「例外」ではなく「原則」です。犯罪の概念を本質的に逆転させるものであり、刑罰(=国家権力による人権侵害)を必要最低限に抑制するという基本理念から大きく逸脱しています。

また、「内心の危険性」が処罰の対象になれば、憲法に抵触することにもなります。思想・良心の自由(第19条)、表現の自由(第21条)、信教の自由(20条)、学問の自由(23条)、営業の自由(第22条)、労働基本権(28条)、個人の尊重(第13条)など、いくつもの条文で認められた基本的人権が損なわれるおそれがあるでしょう。刑法学者や弁護士だけでなく、多くの憲法学者も共謀罪に反対するのは、当然と言えます。

このように犯罪の範囲が拡大するということは、警察の権力が拡大することを意味しています。私が冒頭で、共謀罪は警察官僚の権限拡大のための法律ではないかとお話ししたのは、このような理由によるものです。

今回の共謀罪の問題点はそれだけではありません。法案の実際の条文にも大いに疑問があります。

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