注目すべき棄権率

5月7日、フランスにマクロン新大統領が66,06%で当選した。

決選投票の相手はルペン氏。フロン・ナショナル(FN)という極右政党からの候補者であり、父親の代からその過激な発言を重ね、移民排斥を掲げるなどしてきた。もちろんそんなルペン氏が当選しなかったことで社会全体が安堵しているのは言うまでもないだろう。

しかし、その点よりも今回注目に値すると思うのはその棄権率と白紙投票率だ。白紙投票率は12%を超えた。棄権率も25%を超え、1969年以来の記録的数字になった。白紙投票は記録的に多く、400万票を超えた。例年、多くても200万票程度だったことから考えると異様な数字だったことがわかる。

つまりフランスの1/3が白紙投票か棄権をした今回の大統領選。これはフランスの大統領選の中でも歴史的に大きな出来事と言われる。この棄権率、白紙投票率から見えることはなんだろうか。

決選投票前の対立とは

ここで注目したいのが、第一回の投票と決選投票の間に起きた、ある対立だ。

ちょうど15年前の2002年の決選投票でも今回と同じような構図があった。まさかのルペン氏対シラク氏になったのだ。フランス社会は大騒ぎになり、ルペン氏の当選を止めるべく、多くの人々が決選投票でシラクに票を投じた。結果、80%を超える票をシラク大統領が得ることになる。

そして今回。第一回目の投票後にマクロン氏とルペン氏が残り、決選投票までこの2人の争いだったのだが…

実は私の周りで激しくなった対立はそこではなく、決選投票で棄権あるいは白紙投票をすると決めた人々対マクロン氏への投票を決めた人々、だった。

会社や家庭内、そして友人同士でもこの対立は勃発していた。いつもは同じような思想を持つ仲の良い友人同士でもこの二つの考え方が対立し、ぶつかり合った。

これはあくまで私の周囲の話なので、これを一般化してフランス全土でそうだった、ということは決してできない。しかし、一部であったとしても、この対立が今のフランスの社会的な分断について垣間見るヒントになりうるとも思うのだ。

かくいう私も、ルペン氏が当選するよりはマクロン氏が当選した方がいいだろう(マクロン氏にとりあえず入れるべきだろう)と考え、棄権者の意図がイマイチ掴めずにいた一人だったのだが、これは実はそんなに単純な話ではなかった。

棄権とは反対勢力への票につながるのか

今回は、もはやルペン氏が決選投票に残るのは随分と前から予測されており、人々もそれには何も驚かなくなっていた。それでも決選投票を目前に、さすがに右派も左派もなんとかルペン氏を落とそうと必死になり始めた。

SNS上でも、同様だった。ルペン氏打倒、という目的のもと、いつもはバラバラの人々が一致団結する。

そして、ルペン氏を全体主義者として一旦定義することによって、その対抗馬は右派であろうが左派であろうが、民主主義者、つまり「正」ということになっていった。

さらに、とても説教じみた言葉で、棄権を表明した人たちをマクロン氏に入れるようにと説得する動きが一気に増えた。彼らの言い分としては、もし反マクロンだったとしてもルペンを阻止することが優先だろう、というわけだ。

棄権すること、あるいは白紙投票をすることイコール、ルペンに入れることであり、さらには全体主義に加担することだ、と。「もともとはあなたも私もルペンに反対の立場なんだ、だから棄権するなんていうリスクを負うのは間違っている」、と。

しかしそんなある意味「全体主義」的な動きに嫌悪感を示し、ネオリベのマクロンか排他主義のルペンかなんて選ぶことはできない、とこの流れを拒否する人たちがかなり多くいたわけだ。これが2002年の時と比べて大きな違いの一つではないかと思う。

極右のルペン氏のように、移民排斥の思想を持つような、これまでは(大半の人々に)忌み嫌われ恐れられた人物の当選を阻止するために、今回もとりあえずはマクロンに入れておこう、ということがなぜ今回は難しかったのだろうか。

それは、一旦とりあえず「正」と置かれたマクロン氏について考えることで少し見えてくる。

極右勢力の台頭に加担してきたのは誰か

ルペン氏の対抗馬だったマクロン氏。自ら新しい政治運動「前進!」という運動を結成し、大統領選に挑んだ。左派の社会党出身だが中道派として選挙戦を進め人気を集めた。

多くの人が右派でもなく左派でもないマクロン氏が人気を高めたことを「革命的」であると評し、人物の若さから「変革」への希望をみた。それにとにかく、ルペン氏を相手にすると無害のように見えるのだ。しかし本当にそうなのだろうか。カナダの哲学者、アラン・ドノーはマクロンのような人物が台頭することを『極中道』Extrême Centreの台頭と説明している。

なぜこのような中道派が「extrême – 急進的(過激的)」なのかというと、例えば経済面で言えば資本主義的な論理はもはや必要不可欠なものとして取り込まれる。しかしそれは環境を破壊するものであることは自明だし、社会的な問題に対しては不平等を生み出し、世界規模での経済を考えた際には帝国主義的ですらある、と。またモラル的な面で言えば、「我々の考え方こそがたった一つの解である」、「平均」つまり「正」であると考える傾向がこの極中道にはあり、そこからずれた人々に対して全く寛容ではない、という点でも急進的だ、と。(http://www.lesinrocks.com/2017/04/25/actualite/tribune-la-france-aura-droit-titre-de-president-un-representant-des-ventes-pour-loligarchie-11937958/)

そしてこのような真ん中をよしとする動きはマクロン氏が初めて、などというわけではない。オランド前大統領は就任する際に「私は普通の大統領になる」と宣言していたのだから。マクロン新大統領も結局オランド前大統領と同じで、一部からはただの続きになると見られているのも間違いない。

そしてこの「ただの続き」が無害かというとそうではない、という見方があるのだ。社会学者のオリヴィエ・トノー氏は、Médiapart紙にて第1回の投票でマクロンに投じた人々に向けて以下のように述べている。

マクロン支持者たちは棄権することや白紙投票をすることはルペン氏を当選させることにつながる、全体主義への加担である、などと教訓めいたことを言い、自分たちこそが共和国を救うという気持ちでいるようだが、実際どうだろうか。ルペン氏のような極右勢力が特に力を伸ばしてきたのはオランド前大統領の5年間の政治のせいなのだ。そしてこれからのマクロン大統領の5年間でもそうなるだろう。

極右は憎しみを糧に伸び続けるが、その憎しみの対象は実は2種類ある。一つ目はよく言われるように、移民や外国人など社会的弱者。そしてもう一つは、マクロンの支持者たちが属する社会階級が形成する社会の形や彼らの生き方なのだ。マクロン支持者たちは自分たち以外の人々を見ないからそんなことにも気づいていない、と。

ここでトノーがいうマクロン支持者たちというのは、フランス社会の中級かそれ以上の階級に属し、生活に何不自由ない人々で、海外に留学したり仕事で飛び回るなどしている人たちである。いわゆるグローバル化に恩恵を受けている層とも言えるだろう。

私が、とりあえずはマクロンに入れておけばいい、という考えに至ったのも、私の個人的な社会的立場や環境があったからなのかもしれない。

とにかく、トノーのような見方からすると、ルペン氏やFNと言った極右政党が勢力を伸ばしてきた原因がどこにあるのかという問題が出てきた時に、マクロン氏の支持者たちは、まさかそれが自分たちが正しいと思う政権や、自分たちが構成する社会だとは思ってもいないだろうし、信じたくもないだろう、ということだ。

そして自分たちも極右勢力が伸びることに実は加担しておきながら、その事実には気づきもせず、決選投票の時だけ、ルペン打倒!と声を上げるのはおかしいだろう、と。

たしかに、極右勢力が時間をかけてじょじょに力をつけていく過程では様々な要因が複雑に絡まりあっている。

だから大統領選のような短期間のイベントで、ルペンが当選してしまったらそれは棄権者たちのせいだ、と言い切るのはいささかおかしいことではあるのだろう。誰かのせいだ、と簡単に名指しすることはできない。物事はもっと複雑なのだった。