立岩 陽一郎 , CONTRIBUTOR

「FBI長官が解任されました・・・詳しい情報が入り次第お知らせします」

米国の首都ワシントンは5月2週目の火曜日(5月9日)の午後4時からローカルニュースが始まった。そして番組は、キャスターの一言で急に緊迫し始めた。男女2人のキャスターの表情にも驚きと憂慮の色が見える。それはどのチャンネルでも同じだった。それは一言で言えば、次のようなものになるだろう。

「I cant believe he did that(とうとうやってしまった)」

これは、首都ワシントンで大統領の問題を追いかけている調査報道ジャーナリストが言った言葉だ。テレビをザッピングしながら電話をすると、直ぐにつながり、この言葉を発した後に次の様に続けた。

「バノン(主席戦略官)は解任を止めたという話もある。それでも解任したんだ。彼はもう引き返せないところに来てしまったということだ」

テレビニュースはローカルニュースを打ち切り、全国ニュースが始まっていた。司法担当のベテラン記者、ホワイトハウス担当の記者と中継を結び、あるだけの材料を発信し始めた。

それによると解任は、司法省のセッション長官とローゼンスタイン副長官の進言を受けたという。しばらくして、進言を大統領は了承したと報じた。どこまでが確認された情報でどこまでが噂なのか判然としない。そのうちホワイトハウスから声明が出た。解任の理由としては、大統領選挙の対立候補だったクリントン候補の国務長官時代の私的メールの使用に関する不適切な捜査だという……次々に入ってくる情報だが、どれも納得できるものではない。

「解任の理由はどう思う?」

電話の向こうで同じようにテレビニュースを見ている彼に投げた。

「そうは言うだろうが、まず信じられない。まず、ヒラリーへの捜査が問題だというなら、就任時に解任すれば良い話だ。なぜこのタイミングなのかわからない」

更に次の様に言って電話を切った。

「これで少なくとも『ロシアゲート』が間違いなく深刻な問題であることがわかった」

ロシアゲート

「ロシアゲート」。

これは、国家安全保障担当補佐官だったマイケル・フリン氏に関する疑惑から始まった一連のロシア政府に絡んだスキャンダルのことだ。

ゲートとは事件の入り口という意味もあるが、もう1つには、ウォーターゲート事件を想起させるということがある。43年前、当時のニクソン大統領が弾劾され辞任に追い込まれた事件は今も米国の多くの人の記憶に残っている。

すでにトランプ氏のアドバイザーだったフリン氏が政権発足前の12月に駐米ロシア大使と会い、その際に、オバマ政権がロシアに科した制裁について議論したことが明らかになり辞任に追い込まれたものだ。

実際にオバマ政権が制裁を科した時の経緯を記すと以下の様になる。

1. オバマ政権がロシアへの制裁を検討
2. プーチン大統領が反発、制裁に対抗措置をとる言明
3. フリン氏とロシア大使との接触
4. オバマ政権がロシアに制裁科す
5. プーチン大統領は対抗措置を見送り
6. 対応措置を見送ったプーチン大統領をトランプ大統領が礼賛

この経過を振り返ってNBCテレビのキャスターは、「このやり取りの中でトランプ大統領が関与していないと普通の人は思うだろうか?」と疑問を呈している。つまり、フリン氏の行動をトランプ大統領が知っていたのではないかという意味だ。さらに言えばトランプ大統領の意向でフリン氏が動いた可能性だってないわけではない。もちろん、トランプ大統領はそれを否定している。

トランプ大統領とコミー長官

トランプ大統領とFBIのジェームズ・コミー長官の関係は政権発足以来蜜月と思われていた。オバマ政権時代の幹部を全て替えると主張し、実際に、世界各国の大使、国家情報局長官、CIA長官など外交、安全保障に直結する幹部を全て交代させたトランプ大統領だが、FBI長官だけは残留させた。当時、トランプ大統領とコミー長官は2人で会うなどしているところが確認されている。

このため、コミー長官の残留はトランプ大統領がFBIの取り込みの1つと懸念するワシントンのジャーナリストも少なくなかった。

その蜜月が一挙に変わったのは3月20日にコミー氏が議会で証言してからだ。コミー氏はこの時、捜査の対象がトランプ大統領の選挙陣営に及んでいることを明らかにした。

ワシントンで長く官公庁を主に取材してきた公共放送NPRの記者は、その頃から関係がぎくしゃくし始めたのではないかと推測する。

「トランプ大統領は、『ロシアの問題は選挙に負けたクリントン陣営がリベラルなメディアを使って言い出したフェイクニュースだ』と言ってきた。それを、よりによって自分が信頼してFBIを任せた人物が捜査しているというのだから、怒り心頭だったに違いない。その頃からコミー長官を持ち上げるような発言はなくなっている」

しかし、それが急に解任まで行った理由はNPRの記者もわからないという。

ホワイトハウスでのディナー

解任の翌日にトランプ大統領はNBCテレビのインタビューに応じている。

この中でトランプ大統領は、コミー氏とホワイトハウスで夕食をともにしていたことを明らかにしている。そして、自分が捜査の対象になっていないと確認したことを明かしている。また、夕食はFBI長官にとどまりたいコミー氏の要請で行われたとした。

その後、この夕食が1月27日に行われたことが明らかになる。実はこの1月27日に意味がある。前述のマイケル・フリン氏がロシア政府と接触していたとの通報が司法省からホワイトハウスにもたらされた直後だからだ。

つまり、トランプ氏は司法省の報告を受けて、自らに危険が迫っていないかコミー氏に確認をしたのではないかとの疑惑が浮上したわけだ。トランプ大統領の説明によれば、少なくとも自分は問題がないとわかり安堵したということになる。つまり保身のためのディナーだったのではないかということにもなる。

ちなみに、この通報をした当時の司法長官代理、サリー・イエーツ氏はトランプ大統領がフリン氏を解任するなどの何かしらの動きを期待するが、その期待は裏切られる。フリン氏はそのままポストに居座ることになり、その後、イエーツ氏自身が解任される。理由は、イスラム教徒の入国を制限した大統領令に従わなかったからだ。フリン氏が解任されるのはさらに後、ワシントンポスト紙でロシア大使とのやり取りがすっぱ抜かれてからだ。

もう1つ、1月27日のディナーはコミー長官の要請によるものだったというトランプ大統領の指摘も問題視されている。これについてコミー氏は一切語っていないが、当時の国家情報局長だったジェームズ・クラッパー氏はメディアの取材に応じて、「コミー氏は明らかに当惑していた。その様なディナーに招待されることで、FBIの独立性が損なわれるのではないかと懸念していた」と答えている。つまり、コミー氏は大統領から誘われて断れなかったということだ。

国家情報局長官はCIA、NSA、FBIといった情報機関の元締めの役割を担っており、FBI長官だったコミー氏が報告をあげる立場にある。クラッパー氏の発言は重い。

前出のジャーナリストが言う。

「クラッパー氏がわざわざ作り話を言っているとは思えない。と、なると、大統領は嘘を言っていることになる。つまり、この大統領は保身のために嘘をつくとなると、これは米国民としては、党派を問わず耐えがたいことだ」