10日にホワイトハウスで行われた、米トランプ大統領とロシアのラブロフ外相との会談。米軍のシリアへの巡航ミサイル攻撃によって米露関係は悪化の一途をたどっていると見られているが、会談後、ラブロフ外相は「米露関係の障害を取り除いていく」と関係改善に言及している。

しかし、トランプ政権とロシアとの関係をめぐって、会談前日の9日、トランプ大統領は突如、ジェームズ・コミーFBI長官を解任した。セッションズ司法長官とローゼンスタイン副司法長官の助言をもと解任を決定したとされるが、昨年の大統領選におけるロシア介入をめぐり、FBIが中心となって捜査が行われている中での長官の解任劇は、ワシントンに大きな衝撃を与えている。

大統領選期間中から、トランプ陣営の主要メンバーとロシア政府とのつながりが指摘されていたが、過去にもほとんど例のないFBI長官の解任を「捜査妨害」として、身内の共和党からも批判の声が高まっている。

ニュースで自身の解任を知ったコミー長官

 9日夜、出張先のカリフォルニア州で現地のFBI職員に講演を行っていたコミー長官は、ニュース速報で自身の解任を知った。解任の速報を受けて、周辺は騒然となったが、講演を行っていたコミー長官自身は最後まで動揺を見せないように努めていたと複数の米メディアが伝えている。しばらくして、コミー長官に解任を伝える書簡が届けられたが、FBI長官が自身の解任を先に報道で知るという異例の事態だった。

 トランプ大統領はコミー氏の解任について「彼が満足のいく仕事をしなかったからだ」と述べ、昨年の大統領選期間中に行われたクリントン氏のメール問題捜査におけるコミー長官の対応を問題視した。コミー長官の対応には有権者やメディアからも批判があったものの、当時のトランプ陣営はライバルのクリントン氏に大きなダメージを与えたFBIの捜査や長官の対応を連日称賛していた。

 コミー長官は、選挙期間中におけるトランプ陣営関係者とロシア政府の結びつきや、ロシア政府が何らかの形で米大統領選に関与したのかについて捜査を進めていた。解任翌日となる10日には、大統領選へのロシア関与を調査している米上院情報委員会が前大統領補佐官のマイケル・フリン氏に、ロシア政府とのつながりを示す関連書類の提出を求める召喚状を発行している。同委員会は4月末にもフリン氏に関連書類の提出を求めたが、フリン氏はこれに応じず、今回はより強制力のある召喚状の発行に踏み切った。

 政治ニュースサイト「ポリティコ」は10日、昨年の大統領選挙中にオバマ大統領の命令によってトランプ陣営に対する盗聴が行われ、ロシア政府との不適切なつながりは全く存在しなかったというトランプ大統領の主張を、コミー長官が擁護する姿勢を見せなかったため、トランプ大統領にとってコミー長官は面倒な存在になっていたと伝えている。

 フリン氏に召喚状を出した上院情報委員会は、同じ日にコミー氏に非公開という形で16日に同委員会で証言するよう要請したが、12日午後にコミー氏が委員会証言を行わないことが発表されている。

ニクソン弾劾を加速させた「土曜日の夜の虐殺」

 FBIが設立されたのは1908年7月。間もなく設立から109年となるが、その歴史の中で長官が解任されたのは過去に一例しかない。

 レーガン政権時の1987年11月にFBI長官に就任したウィリアム・セッションズ氏は、その後のジョージ・H.W.ブッシュ政権とクリントン政権でもFBI長官の座にいたが、クリントン大統領が就任する直前の1993年1月に公金の私的流用をめぐる疑いが浮上した。

司法省内部の司法業務監査室は、「セッションズ氏が娘のもとを訪れるために政府専用機を何度も使用し、自宅の警備システムにかかる費用を政府に支払わせていた」ことを問題視。クリントン政権内部からも辞任を求める声が相次いだが、セッションズ氏はこれらの疑惑を否定する形で辞任の求めには応じなかった。結局、セッションズ氏はクリントン大統領によって、1993年7月に職を解かれている。

 セッションズ氏の解任から約25年後となる2017年5月、コミー氏は解任された2人目のFBI長官となった。しかし、両氏の解任理由には大きな違いがあり、これらの解任を同一視すべきではない。コミー氏は昨年の大統領選期間中におけるトランプ陣営の中心的人物らとロシア政府との関係、そしてロシア政府がサイバー攻撃を用いてアメリカ大統領選挙を混乱に陥れたのかどうかについて、徹底した捜査を行う姿勢を見せていた。

 ロサンゼルスタイムズ紙は複数の政権高官の話として、コミー長官とローゼンスタイン司法副長官が先週会談を行い、その中でコミー長官はトランプ陣営とロシアのつながりをより大きな調査で行いたい意向を示し、「予算の追加と人員の拡充」をローゼンスタイン副長官に求めていたと報じている。まさにトランプ氏の喉元に刃を突きつけたような格好となった、コミー長官の動きに対し、トランプ政権側ができるだけ早く対処すべきと考えていたことは想像に難くない。

 トランプ大統領のコミー長官解任と45年前のウォーターゲート事件時のニクソン大統領の行動に、類似点を見出す米メディアも少なくない。ウォーターゲート事件の調査を行っていたアーチボルド・コックス特別検察官は、ニクソン大統領が大統領執務室で極秘に訪問者との会話を録音していた事実が議会の調査委員会で明らかになると、8本のテープを証拠品として提出するように大統領側に求めた。しかし、大統領は特別検察官のリクエストを拒否。リチャードソン司法長官とラッケルハウズ司法副長官にコックス特別検察官の解任を求めたが、2人はニクソン大統領の申し出を拒否(コックス氏の任命前に2人は捜査に干渉しないという宣誓を行っていた)。

 コックス特別検察官の任命・罷免権は、司法長官にあったため、ニクソン大統領は1973年5月に司法長官に就任したばかりのリチャードソン氏に圧力をかけ続けた。同年10月20日、リチャードソン司法長官は就任から5か月で辞任を表明。ラッケルハウズ司法副長官もニクソン大統領によって辞任に追い込まれ、その日の夜にニクソン大統領は別の人物を司法長官代理に任命。司法長官代理によってコックス特別検察官は解任される。10月20日が土曜日であったため、司法長官の辞任や特別検察官の解任は「土曜日の夜の虐殺」と呼ばれ、ニクソン大統領の弾劾に向けての動きを加速させるターニングポイントとなった。