東芝メモリの1次入札は3月29日に行われたが、その応札候補に10社以上の名前が挙がっていた(表1)。その中で、最悪なのは日本政策投資銀行と産業革新機構であり、安く買って高く売ることを目的にしているファンドにも嫌悪感を持っている。そして、NANDフラッシュメモリを開発し製造している競合他社が買収することも適切ではないと考えている。

 本稿では、日立とNECの合弁会社エルピーダでの筆者の体験を基に、その根拠を示す。ただし、東芝と共同開発・製造を行っているウエスタンデジタル(WD)と、米マイクロンおよび韓国SK Hynixでは、その根拠について共通項もあるが、異なる事情も存在する。

独占禁止法の障害

 現在、サムスン電子(33%)、東芝&WD(19+16=35%)、マイクロン&インテル(14+10=24%)、SK Hynix 8%の4陣営がNANDを製造している(図1)。

 このうち1次入札には、WD、マイクロン、SK Hynixが応札した模様である。その結果、WDとSK Hynixが2次入札に進むことになり、マイクロンは脱落した。

 しかしこれらNANDメーカーは、どこが買収の権利を得ようとも、東芝メモリとのシェアの合計がトップシェアのサムスン電子を超えるかまたは接近するため、各国司法省での独占禁止法の審査を受けなくてはならない。それには数カ月以上の時間がかかる上に、許可が下りない場合もありうる。

 これは可及的速やかに東芝メモリの売却益を得て、債務超過を回避し、東証への上場を維持したい東芝にとっては、非常に厳しい事態が予想される。したがって、同業他社による東芝メモリの買収には、独占禁止法の審査という大きな障害がある。

買収資金不足が引き起こす問題

 また、WD、マイクロン、SK Hynixはどこも、買収資金2兆円をポンと出せるほどのキャッシュの余裕がない。特に、WDは1年前にサンディスクを190億ドルで買収しているため、もっとも資金的に厳しい状況に置かれていると思われる。SK Hynixも、台湾ホンハイやTSMCとの共同応札を持ちかけたり、政策銀や革新機構にすり寄っている噂が流れていたが、これも資金不足を解消するために奔走していたのだろう。

 1次入札を通過したWDは、資金不足解消のために、米ファンドKKR、政策銀、革新機構、経産省が参集している日本企業連合と陣営を組む(表2)。また、SK Hynixも、米ファンドのベインキャピタルと連合を組んで応札する。

 しかし、このようにファンドなどと連合を組んで応札する場合、東芝メモリの筆頭株主が過半を占めることは困難である。つまり、取締役会は、烏合の衆になる可能性が高い。

 メモリビジネスでは、市況を読んで、ここぞというタイミングに、1兆円規模の投資をするというような判断を迅速に行わなくてはならない。ところが、烏合の衆となった取締役会では、そのような果断な意思決定が難しい。

 つまり、WDやSK Hynixが単独で応札するなら文句はないが、買収資金が十分ないために、ファンドなどと連合を組んで応札することが問題なのだ。

開発や製造における問題-エルピーダのケーススタディ-

 独占禁止法の障害がクリアされ、買収資金の問題も解決できてファンドなどの協力なしに、WDまたはSK Hynixが単独で、東芝メモリを買収できたと仮定しよう。それでも、3次元NANDの設計、プロセス開発、製造において、さらなる難題が待ち受けている(ただし、その難題はWDとSK Hynixの場合で若干異なる)。

 この難題については、1999年12月に日立とNECのDRAM合弁会社として設立されたエルピーダのケースが参考になる。実際に、筆者は日立からエルピーダに出向して、その地獄を体験した。以下では、エルピーダが陥った苦悩について説明する。

エルピーダ設立後、2年間でシェアは1/4に

 韓国サムスン電子の躍進により手痛いDRAM敗戦を喫した日本半導体メーカーは、NECと日立の合弁会社エルピーダ1社を除いて、すべてDRAMから撤退した。

 ところが、その最後の砦のエルピーダも、1999年12月の設立から2年間でDRAMシェアを17%から4%にまで低下させ、倒産寸前の状態となった(図2)。この原因は二つあった。一つはNECと日立のバトル、もう一つはプロセス技術(特に洗浄技術)に起因するDRAM量産の問題である。

 まずNECと日立のバトルについて説明しよう。まず、2社統合を行う際、そこにはどのような目論見があったのだろうか? 単純に考えても、社員倍増、生産能力倍増、開発費は折半により半減、などは簡単に実現できると目論むだろう。つまり、最低でも、1+1=2。

 しかし、それだけでは面白くない。折角、カラーの異なる2社が融合するのである。したがって、そのシナジー効果創出を期待するであろう。すなわち、1+1=3を目論む。エルピーダの場合は、強力な生産技術力を持つNECと、強力な技術開発力を持つ日立製作所が融合することにより、世界最強のDRAMメーカーになることが期待された。

 このような目論見により、間違いなく合弁前よりも状況は改善すると期待されて、経営統合はなされた。しかし、現実は、全く目論見通りには行かなかった。それはなぜなのか? 2社統合により、合弁会社内には、どんな混乱や摩擦が生じたのだろうか?

組織と経営の青写真

 日立とNECの合弁の際、以下のように組織や拠点が作られた。まず、組織について。エルピーダのあらゆるセクションが、日立とNECの社員で構成された。構成比はセクションによってバラツキがあるものの、概ね半々だった。また、課長、部長、本部長から社長に至るまで、あらゆる職位は二重になった。その際、正課長が日立、副課長がNECであったとしたら、部長職は、逆に、正部長がNEC、副部長が日立というように、たすき掛け構造の人事がなされた(図3)。

 次に、設計センター、開発センター、および、量産拠点について。エルピーダの設計センターおよび開発センターは、NEC相模原の敷地内に設立された。ここに、日立およびNECの設計技術者、プロセス技術者が出向してきた(図4)。

 DRAMの設計、開発、量産の青写真は以下のように考えられていた。まず、NEC相模原の敷地内に設置されたエルピーダの設計センターでDRAMを設計する。次に、NECの敷地内にある開発センターで、上記DRAMが試作され、工程フローが完成する。この工程フローを量産工場に技術移管する。量産拠点は、日立シンガポール工場、NEC広島工場、および、エルピーダメモリが新たに広島に建設する最新鋭量産工場などである。このような組織、職制、および、事業拠点により、1+1=3を目論んだ。果たしてその結果はどうなったか?