しかし、大学予算全体はそれほど減っていない。政府は交付金を減らす代わりに、公募方式で研究者に資金獲得を競わせる「競争的研究費」を増やしてきた。本質にあるのは研究費不足ではなく、もっと構造的な問題とみるべきだ》

 そして、研究者の高齢化・年功序列、若手の研究職がなく高学歴ワーキングプア化、閉塞感の打破などをあげ、「大学の自発的な改革を加速させるときだ」が結論です。しかし、ネイチャー特集に含まれる角南篤・政策研究大学院大学副学長のコメント《多くの大学人は政府主導の改革に懐疑的であり、もはや自ら改革が出来ないほど大学財政は窮迫している》とあるのをお読みになるべきです。

 交付金は今後も年に1%ペースの継続削減が決まっており、第535回「文科省主導の大学改革が国立大の首を絞める」で取り上げた「教員1人年間研究教育費が3万円」という、何のために大学教授がいるのか理解不能な悲喜劇ぶりを知るべきです。

 大学の現場にいる一級の研究者が極めて悲観的な展望を持つ現状は第542回「ノーベル賞・大隅さんの警鐘は政府に通じまい」で伝えました。大隅さんの憂慮を再録します。《競争的資金の獲得が運営に大きな影響を与えることから運営に必要な経費を得るためには、研究費を獲得している人、将来研究費を獲得しそうな人を採用しようという圧力が生まれた。その結果、はやりで研究費を獲得しやすい分野の研究者を採用する傾向が強まり、大学における研究のあるべき姿が見失われそうになっているように思える》

 さりながら昔に戻せば良いとは思いません。2004年の国立大学独立法人化にあたって書いた第145回「大学改革は最悪のスタートに」〜急務はピアレビューを可能にする研究者の守備範囲拡大〜の問題意識は現在でも有効です。大学改革は欧米に比べて大きな欠陥を抱えた研究の仕方を改めるのではなく、むしろ学閥優先に振れてきた十余年の壮大な失政でした。それを認めてやり直さなければならないのに、この国のマスメディアは小手先の改革がまだ通用すると軽薄に思い、政府にちょっと改善を促す程度で実際は追随し続けます。