先週はトランプ大統領が、米中首脳会談の最中にまさかのシリア空爆に踏み切りました。あのトランプ氏が、化学兵器の使用に義憤を感じて人道的介入とは驚くしかありませんが、このことは北朝鮮に対する痛烈なプレッシャーとなっていることでしょう。

今週の金融市場は「地政学リスク」を嫌気して、「有事の円高」と「株安」が進行しています。当然の動きのように見えますが、あらためて”Geo-Political Risk”とは何かと考えると、明快に説明することはなかなか難しい。われわれはこの便利な言葉の裏側に、何かを覆い隠しているのではないでしょうか。地政学リスクとは何なのか。そもそもの「地政学」や近年の歴史に立ち返って検討を加えてみました。

●どこからどこまでが「地政学」なのか

最初にクイズから始めよう。
以下に最近の市場で実際に起きている現象を5点並べてみた。これらのうち、「地政学リスク」と呼びうるのはどこからどこまでだろう。

1. 北朝鮮による核実験、ミサイル発射などを警戒して韓国ウォンが売られる
2. 米軍による北朝鮮攻撃の可能性を嫌気して、国際的なマネーの移動が緩やかになる
3. 米軍のシリア空爆に伴って、中東情勢の不透明化から石油価格が上昇する
4. フランス大統領選挙で、ルペン候補が勝つ可能性が上昇してユーロが売られる
5. 東京都議会選挙での自民党大敗を予測して、外国人投資家が日本株を売る動きがある

上記は別に正解があるわけではない。普通に考えれば1~3までが地政学リスクで、4や5は普通の政治リスクではないかと思う。ただし、昨年のBrexitやトランプ現象を、「地政学リスク」と捉える向きもあった。この辺の線引きはいかにも曖昧で、この言葉が恣意的に使われていることは間違いなさそうだ。

日本では数少ない地政学研究者の奥山真司氏(国際地政学研究所上席研究員)によれば、「地政学(Geo Politics)」という言葉自体が濫用され、定義もバラバラなところがある。ジョセフ・ナイ教授曰く、「それは愛と同じで、愛が存在することは誰もが認めるが、その定義は人によって違う」といった状態であるらしい。

集合の概念で行くと、地政学は戦略研究の一部であり、下記のように政治学に包摂されることになる。その中でも軍事に関係があり、「地図を使って考える」という点に特色がある。筆者の理解した範囲でポイントを挙げれば、①「国家」の立場から、②「地理」という人間が変えられないものを前提に、③「戦略」を考える学問で、④特に「戦争」に関する思考が中心になる、といったところだろうか。

政治学 ⊃ 国際関係論 ⊃ 安全保障論 ⊃ 戦略研究 ⊃ 地政学(古典的地政学)

それでは「地政学リスク」という言葉はいつ誕生したのか。一般には、2002年9月にグリーンスパンFRB議長が公聴会で使って有名になったとされている。が、「日経テレコン」で検索してみると、同年6月17日時点で「市場関係者の間では『地政学リスク』という表現も定着した」といった新聞記事を発見することができる1。どうやらグリーンスパン議長が自身で造語したものではなく、市場関係者の間では既にBuzzwordになっていたのであろう。当時の不透明な金融市場を表すには、ピッタリな表現であった2

2002年9月はまことに微妙な時期であった。ちょうどその1年前に、「9/11、同時多発テロ事件」があり、「世界が変わった日」(The Economist誌)と評されていた。アフガニスタンでは「対テロ戦争」が継続中であり、全世界にとって「テロの脅威」は切実なものであった。そんな緊張感が、「地政学」という古い言葉を想起させたのではないか。

9月12日にはブッシュ大統領が国連総会で演説し、「イラクの安保理決議不履行」を批判している。これが半年後のイラク戦争の伏線となるのだが、皆が薄々その可能性を感じつつも、「ブッシュ政権はどこまで本気なのか」を測りかねている状態であった。

日朝首脳会談が行われたのも2002年9月である。小泉首相が平壌に飛んで金正日総書記と会い、それまで日本人が「見て見ぬふり」をしてきた拉致問題が一気に明るみに出た。これまた従来の世界観を一変させる事件であった。”Geo-Political Risk”という言葉が誕生したのは、こんな風に内外ともに「もやもやした」時期であった。

●計算できるリスクはそんなに怖くない

ところがこの不透明感は、半年後にイラク戦争が勃発すると同時に解消することになる。2003年3月19日に米軍のイラク侵攻が始まると、前後1週間でNY株価は8%上昇し、ドルは対ユーロと対円で上昇した。また石油価格は1バレル30ドルを割り込み、金や債券は売られた。すなわち「リスク・オン」となったのである<3

市場が嫌っていたのは、「不確実性」(Uncertainty)であった。ところが米国がイラクを攻撃するという事実が確定した瞬間に、「これから始まるのは戦争」であることが明らかになった。そうなると一気に怖さは消えてしまう。目の前にあるのは、確率的事象である「リスク」(Risks)になった。哀しいかな人類は、戦争に関する経験をたくさん積んでいるから、その先の見当がついてしまうのだ4

実際に2003年からの世界経済は、息の長い上昇過程に入る。中国など「BRICs」と呼ばれる新興国が高度成長を続け、石油などの資源価格も右肩上がりとなった。ただしその直前には、市場が「地政学リスク」に怯えていた2002年があったのである。

経済学において、この「リスク」と「不確実性」を分けたのはフランク・ナイトの功績である。前者は計算できる確率的事象であり、後者は確率を計算できない事象である。

計算できるリスクは、実はそれほど怖くはない。例えばわれわれは、東京直下型地震がいつ来るか分からないことを知っている。それでも平気で生活していられるのは、最悪の事態のイメージがあること、ある程度の準備やシミュレーションがあること、そして「損害保険」などの対抗手段が用意されているからであろう。

逆に、計算できない不確実性は非常に怖く感じられるものである。「3/11震災」の直後は、まさしくそういう状態であった。大規模な原子力災害という事態に、何も手がつかないといった体験をした人は少なくなかったことだろう。前例のないこと、「想定外」のことに対して人は弱い。もちろん経済活動にとっても、大きな負担となってしまうのである。

経済学者ナイトが偉大であった点は、つまるところ人間社会において不確実性は排除できないから、経営者はこれに対処しなければならない。そして利潤とは、不確実性に対処することに対する報酬である、と喝破したことである。

確かに企業を取り巻く環境は、計算できることばかりではない。かならずどこかに「不確実性」があって、そこはアニマル・スピリッツで乗り越えていかなければならない。端的に言えば、どこかで迷いを断って「エイヤア」と蛮勇を奮う必要がある。

この点、「先行き不透明性」を強調することが多い最近の日本企業には、反省すべき点があるのではないだろうか。「地政学リスク」という言葉も、行動しないことの便利な言い訳として使われている面が無きにしも非ずだと思う。