震災によって全壊した岩手県陸前高田市の市庁舎の再建はどうなっていくのだろうか。再建場所を巡っては議論が続いている。最も有力な候補は、現在の市立高田小学校を解体、移設し、新築するというものだった。しかし、3月14日の3月定例会では、高田小跡地に市庁舎を新築するための「庁舎位置改正条例案」が否決された。そのため、市は、他の案を含めて、再検討することになっている。

「庁舎位置改正条例案」が否決される

陸前高田市は宮城県の気仙沼市と隣接する県境、かつ沿岸南部の市だ。また、県内で隣接する大船渡市や住田町とをあわせて「気仙地区」と呼ばれている。現在、市の業務は、内陸部の高台にあるプレハブの仮庁舎で行われている。仮庁舎は、三陸道の陸前高田IC出口付近、国道340号線(高田街道)沿いにある。

市の資料によると、これまで再検討された新市庁舎の位置は3ヶ所4案だった。

 1)高台に新たな用地を確保する
 2)現在の仮庁舎の敷地内。その場合は、別の仮庁舎を作り、本庁舎を建設することになる。
 3)移転予定の高田小学校の場所。
   a)高田小が新しい場所に移るのを待って、改築する
   b)新しく建設する

 '13年に行われた市民アンケートでは、「仮庁舎の敷地内」との回答が41%で最も多かった。

 しかし、市側の説明では、敷地面積ではクリアできるが、駐車場の面積が確保できない。また、交通網として難しい面があるという。さらに高台に新しい用地を確保する場合、私有地がほどんどで、用地確保に時間がかかる。そのため市では、高田小跡地での建設案に絞った。

被災後の高田小から海側を見た風景(11年4月撮影)
現在の高田小。新市庁舎の有力な候補地だったが、市議会で否決された(17年3月12日撮影)
最近の、高田小から海側を見た風景。かさ上げしたため、海は見えない。また、敷地前には復興公営住宅(左側)が建っている(17年3月12日撮影)

 建設費用の面でも、高田小跡地案は安かった。

 1)の場合は総事業費64億円(市の負担は24億円)
 2)の場合は総事業費45億円(同18億円)
 3)の場合で、
   a)校舎改築なら、総事業費56億円(同17億円)
   b)校舎解体し、庁舎新築なら、総事業費54億円(同11億円)

 という試算だ。

 これらの案の中で、市側は3)案のb)、つまり高田小を解体し、庁舎を新築する「庁舎位置改正条例案」を提出した。改築案ではない理由は、小学校建設の財源が不足することや、築30年が経っているため、今後のメンテナンス費用がかかることだ。市議会の3月定例会の復興対策特別委員会では、同条例案が過半数の同意を得て通過した。しかしこの採決は、地方自治法の特別多数議決案件のため、可決には出席議員の3分の2が必要だ。

 本会議の討論では4人が賛成、6人が反対の趣旨で意見を述べた。 結果、賛成は10人、反対派7人となり、出席議員17人のうち3分の2(12人)を超えなかったために、否決となった。議会後、戸羽太市長は「私自身は何が何でも高田小という考えは持っていない」などとし、6月議会に再提案をする考えだが、市によると、「市長が6月定例会に提出すると会見で言ったが、それ以上でも、それ以下でもない。今後のスケジュールなどは詳細は決まっていない」といい、市議会や市民への説明会などは、まだ決まってないという。

「想定では2階以上は浸水しないはず」も浸水した旧庁舎

東日本大震災での被害を振り返ってみる。 津波にのまれた旧市庁舎(コンクリート3階経て。一部4階建て)は、気仙川の西に約1.5キロ。海岸線まで約500メートルほどの位置にあった。

岩手県の「地震・津波シミュレーション及び被害想定調査」('04年)では、高田松原付近で最大遡上高10.2メートル、市庁舎周辺の浸水深は50センチ以上1メートル未満とされていた。これを前提にすれば、少なくとも市庁舎は2階までは浸水しない。本部長室や副本部長室、防災対策室、総務課、対策本部を予定していた会議室などは2階以上にあるために、浸水被害にあわない、とされていた。

しかし、東日本大震災による津波では3階まで浸水した。

浸水した旧市庁舎(11年10月7日撮影)
市体育文化センターも浸水した(11年10月7日撮影)

 「陸前高田市東日本大震災検証報告書」('14年7月)によると、'11年3月11日には震度6弱を観測している。市内の死者・行方不明者あわせて1757人('14年6月末時点)で、人口2万4246人('11年2月末時点)の7.2%を占める。被災地では宮城県石巻市につぐ死者・行方不明者数で、岩手県内では最も大きい被害だ。市庁舎も津波にのまれ、屋上に登った人だけが助かった。公的な役割を持つ人からも多くの死者行方不明者を出した。市職員は111人、消防団員は51人、区長が11人、民生児童委員が11人だった。

屋上に避難して助かった住民の証言

津波発生から約1ヶ月後、避難所になっていた高田一中の体育館で、市庁舎の屋上に避難し、助かった老父婦を筆者は取材していた。男性(当時74)は津波から難を逃れて、屋上で一晩過ごした。家は市役所のそば。そのおかげで助かったという。

 「大きな地震があって、避難する前、用事があって出かけており、車の中でラジオを聞いていた。そしたら、釜石ではもう津波が来ている、とのことだった。そのため、『ここにも来る』と思った」

急いで家に帰り、避難所になっている「ふれあいセンター」に向かおうとしていると、すでに黒い波が見えていた、という。

 「線路の手前に2階建ての建物があったが、それを超えていた」

結局、市庁舎に避難でき、屋上まで上がった。そこから見えるのは、市民会館、ふれあいセンター、スーパーだが、その屋根まで津波がきていた。男性と妻は助かったが、どこからともなく助けを求める声が聞こえた。しかし、助けようにもその手段はない。

「暗闇から、『助けて!』という声があちこちから聞こえた。誰がどこにいるのか見えない。どうしようもなかった」

 市庁舎周辺は津波の遡上高は15.8メートルにも及んでいたのだ。

そのため、内陸かつ高台にあった学校給食センターに市災害対策本部を移動した。その後、100メートル離れた場所にユニットハウスの仮設庁舎を設置。さらに、5月、国道340号線沿いにプレハブの仮庁舎を完成させていた。