それよりこの「芸術」という言葉を使うとなんか全部許されちゃう感じは何でしょう。そもそも「スーパームーンの下、『月光』を踊る」というコンセプトに、脱ぐ必要なくね……?当たり前に出てくるであろうこの疑問に村主さんが出した一つの解がこちら。

 「これちょっと補足させてください。女性に見ていただいて、美しいと言ってもらえたら一番嬉しいし、そういっていただきたく頑張りました。200点満点は、チームが本当に素晴らしく、私の実力では、こんな作品になりませんでした」(ツイッターより)

 遠回しに「オカズとして作ったわけではありません。オカズにするのは勝手だけど」という、お隣さんからもらった芋で大量の芋の天ぷらを作るもごはんに合わないと家族から批判が噴出したときのお母さんみたいなことを言い出す村主さん。いい加減、ヌード写真集を出すときの盾として「女性に見てほしい」を持ち出してくるのやめてもらえませんかね……もうあたいらどんだけ盾にされてると思ってんの……。

現役時代から芸術性に定評があった村主さん

 確かに、村主さんは現役時代から一貫して「芸術性」というものにこだわってきたように思います。芸術、それは神様が人間に与えた最強の免罪符。あなたもアート、私もアート、アート驚く為五郎。元気があれば何でもできる。アートと言えば何でもアート。たとえば、たとえばですよ。肌は驚くほどハリを失い、精神と同様に肉もたるみきり、消えないタトゥのような妊娠線に腹を縛られた40の私がヌードになったとしても、そこに『沈黙』みたいな意味ありげなタイトルをつければ「あ、これは芸術なのかも……」と素敵な誤解を与えかねないとも……いや与えないっすね。

 さらにぶっこまれる最強のスピリチュアルワード「月」。