ゲームはやっていないが、現実には直接関わり合いのなかった作家同士がここでは出会う、という面白さもあるのかもしれない。

【文豪とアルケミスト】これからは文豪男子!?キャラクターまとめ【文アル】1/10現在 - NAVERまとめ

ちなみに一介の現国教師だった父は地味に島崎藤村の『夜明け前』を研究(未完)していたので、キャラ化されたのを見たら「コレが藤村か!(眼鏡がないじゃないか!)許しがたい!」とまず激怒し、その他のキャラ設定をじっくり見ていくうちに「うーむ。まあ基本は一応押さえてあるか。でもなんでマンガでゲームなんだ。作品を読めばいいじゃないか(つまりよくわからん)」となっただろう。戦前生まれの人だから。

実在した人物をここまで非実在(キャラ)案件にしていいのか問題もあると思うが、それはここでは措く。

この件に少し似た「断絶」を昔、アートの分野で経験した。

某芸術系大学の「現代美術演習」という授業で、普段の作品を持ってきてもらって講評していた時のこと。

「なぜこのモチーフ? どこから出てきた? コンセプトは? あなたにとって絵画って何? 美術史のコンテクストにどう位置付けてるの?」と、(私も若かったもので)矢継ぎ早に質問していたら、キレられた。

「ただ好きだから描いてるんです! 絵が好きだから! 好きってだけじゃダメなんですか? コンセプトとかそういうんじゃなくて。コンテクストって何ですか? 美術史とか関係ないです」


ただ好きでやってるだけの人が「現代美術演習」の授業に何を求めて来ているのかわからないけど、山の中に籠って山水画描いてるわけじゃないんだし、明らかに近代以降の絵画だし、何らかの意味作用を作り上げているように見えるし、そこに現代的な文脈を読もうとするのは普通。「現代的」ということは歴史を前提にしているということで。絵画って歴史的なものだから。大学来てるなら最低限そこは押さえないと。