原裁判長は、これを「地震学者の見解を最大公約数的にまとめたもので、津波対策に当たり、考慮しなければならない合理的なものだった」と述べているのである。

しかし、実際には、国は、この推本の意見を採用していない。なぜなら、その5か月前の2002年2月に、公益社団法人「土木学会」の津波評価部会がこれとは全く異なる「決定論」という見解を打ち出していたからだ。

これは、基本的には、日本で過去に起こった津波には、それぞれ「波源」が存在しており、それをどう特定していくか、という理論に基づいている。その結果、具体的に「8つの波源」の存在が挙げられ、推本が打ち出した「三陸沖から房総沖の海溝沿いのどこでもM8クラスの地震が発生する可能性がある」という曖昧な見解とはまったく異なる性質の論が打ち出されていたのだ。

では、国はこの二つの論のどちらを選択しただろうか。答えは、「土木学会」津波評価部会のものである。2006年1月、総理大臣をトップとする国の「中央防災会議」は、土木学会津波評価部会の「決定論」の方を採用し、福島沖と茨城沖を津波防災の「検討対象から除外する」という方針を出したのだ。

私は、前橋地裁が、「三陸沖から房総沖の海溝沿いのどこでもM8クラスの地震が発生する可能性がある」という曖昧な見解の方を支持し、「これで津波対策を福島でもしなければならなかった」というなら、国が土木学会津波評価部会の「決定論」を採用したことに対して「瑕疵(かし)がある」と、その理由を説明しなければならない。だが、そのことについて納得できる前橋地裁の見解はない。

推本に拠って立てば、当然、「福島沖」も「房総沖」も含まれるわけで、要は、そこに20メートルの巨大防潮堤を立てていけば、国は、責任を果たした、ということになるのだろうか。