元都知事の石原慎太郎さんが百条委員会の前に開いた会見が面白くて、動画や文字起こしされたものを何度読んでも「都知事を辞めて5年経っても彼は石原慎太郎であった」という文学的な世界に突入するのであります。何も、変わっていなかった。良かった。「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった」みたいな。もちろん、会見の前には「きっと意味のあることは何一つ喋らないのだろうな」という予想があったわけですけど、会見中も会見後も「ああ、やっぱり意味のあることは何一つ喋らなかったな」という結論に到達して満足するのです。なんだろう、この究極の予定調和。

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古いからやめようぜ、みたいな。とても慎太郎的

 かろうじて意味を見出すべき論点があるとすると2つで、ひとつは「専門家の意見を聞いて判断した(だから俺には責任はない)」こと、もうひとつは「小池百合子バーカ」であります。これですよ。これを求めていたんですよ、石原慎太郎さんに。

 まあ、実際に石原慎太郎さんの過去の東京都知事会見録を読んでも、その当時から石原さんには「まあいい加減老朽化してるからさあ、ここらでいっちょ移転しようや」ぐらいのノリ以上のものを見出すことが困難なのも事実です。「石原都知事のリーダーシップ」といわれると、いきなり尖閣諸島を購入しようと言い出して突然寄付を集め始めた事件とか、突然銀行ができるとか、突然テレビ局ができるとか、ろくでもないことばかりを想像してしまうわけですけれども。ただ、築地市場絡みに限定して言うと、これといって酷いことは言ってないし、していない。古いからやめようぜ、みたいな。とても慎太郎的。

 受け手側の感情論として、石原慎太郎的な古き良きオールド保守派風の父権の偶像とか虚像とかいろいろなものは去来する人も多いんでしょう。一方で、「政治家・石原慎太郎」と割り切ったときに彼の口から出てくるものは、過激な割に無難な政策のオンパレードであり、彼自身の発案によるものはだいたいろくでもない結論にしかならないというのはポイントが高い。築地市場からの移転云々よりも「なんだあの首都大学東京は」という風情。どう読んだって略称が「クビ大」になるほかないだろうという地味なセンスの無さが「政治家・石原慎太郎」の独自政策のイケてなさを示すわけですよ。もちろん、都立の公立大学をきちんと作ろうというのは大事なことなんですけど、テレビであれ銀行であれいろんなオモチャを思いついてはいじくり回してひっくり返して飽きたらブン投げる傾向があるような気がします。

都知事辞任会見時 ©文藝春秋

百条委員会は「小池百合子バーカ」で終わるのか

 そんな石原慎太郎さんですけど、スギ花粉やらディーゼル規制やら道筋のついたものを都庁組織から釣り下げられて「これは進めるぞ」となるとこれはもう剛腕政治家のそれなわけです。いまでこそ叩かれがちな自民党都連だけでなく各会派も石原さんなりに見渡して、圧倒的な選挙の強さも駆使した身のこなしは老練そのものであって、頑固おやじが職人肌の政治家として成し遂げるあれこれというのは、やはり見ていて凄いものがあります。爺さん、やるじゃん。黒子としてバックにいる副知事以下都庁の優れた組織も、石原慎太郎さんみたいな堅牢な漬物石をトップに掲げているうちは、かなり自由に派閥争いに興じることもできたでしょうし、やっぱり東京都庁というのはちゃんと機能する存在だったのだろうと強く感じます。石原さんにオモチャ与えておけば、他のことは自由にできますからね。

 それもあって、ちゃぶ台を返す側に回っている今の小池百合子女史が石原慎太郎さんを百条委員会に呼ぶぞ、議会で質問沢山ぶつけて糾弾するぞと頑張っても、結果として組織としての都庁が都議会と相応に正規の手続きを経て都知事が決裁したものを全面的に否とするのはなかなかにむつかしい。そういうむつかしいものも分かったうえで、小池女史が石原慎太郎「解体ショー」に打って出るというのは、これはこれで興味深い部分はあります。やっぱりお爺ちゃんの元気な姿もみたいですしね。でも、実際にはきっと何事も起きずに石原慎太郎が壇上で「小池百合子バーカ」と叫んで終わる類の茶番になって、霊界からいかりや長介が下りてきて「ダメだこりゃ」と言って都議会が建物ごと崩壊して終わるような喜劇にしかならないと思うんですよ。ほんとダメそうですもん。