鬼才 五社英雄の生涯 (文春新書)

鬼才 五社英雄の生涯 (文春新書)


Kindle版もあります。

鬼才 五社英雄の生涯 (文春新書)

鬼才 五社英雄の生涯 (文春新書)

『鬼龍院花子の生涯』『極道の妻たち』―極彩色のエンターテイナー、映画監督・五社英雄。肉を斬り骨を断つ効果音の発明など遺したものの大きさに比して無視に近い扱いを受けてきた鬼才。自らの人生も「演出」した男はなぜその背に鬼を彫り込んだのか?虚実ハッタリ入り乱れた生涯に翻弄されながら、春日太一が渾身の取材で「鬼」の真実に迫る。

 
 五社英雄、という映画監督をご存知でしょうか。

 五社英雄、フジテレビのディレクターとして1963年の『三匹の侍』で「刀と刀の合わさる効果音」を開発して早創期のテレビ時代劇に革命的な旋風を巻き起こし、その翌年にはテレビ局の人間として初めて映画を監督、1980年に銃刀法違反で逮捕されて一度は表舞台から姿を消すが、82年の映画『鬼龍院花子の生涯』で復活、以降は女優たちの濃厚な濡れ場やヌードに彩られた極彩色の映画を連発して低迷する日本映画界を牽引した、稀代の演出家である。


 僕も名前は知っていたのですが、正直なところ、「ヤクザが出てきて、女優さんが脱ぐ映画ばっかり撮っている、ガラの悪い人」といイメージしかなかったんですよね。
 この新書を読んで、どこまでが事実で、どこからがフィクションなのかわかない、自分の経歴すら「演出」しようとしていたかのような五社監督の姿を読んで、なんだかとても心惹かれるものがありました。


 著者は、五社英雄の足跡をさまざまな関係者の証言や資料をまじえて追っていきます。
 傍若無人・豪放磊落にみられがちな五社監督は、黒澤明監督の映画をみて独学で演出を学び、「テレビ出身」であることから、映画の業界人との間に最初は壁があったこと、自由に撮りたい、という重いがありつつも、さまざまなしがらみや思いきりの悪いところもあり、なかなかフジテレビから「独立」できなかったこと。

 

 五社英雄が撮ってきたテレビドラマ・映画には一貫した大きな特徴がある。それは、主人公が一人残らずアウトローであるこということだ。

 
 五社監督自身も「アウトロー」であるがゆえに、他人をよく観察したり、それまでのテレビドラマや映画界の慣習にとらわれずに、「新しいもの」「過剰なもの」を目指して突き進んでいったのです。
 五社監督は、ニッポン放送でラジオの仕事をしていた経験もあり、テレビ時代劇ならではの演出として「効果音」を取り入れていきました。
 当時のテレビは画面が小さいこともあり、「音」は差別化に有効だったのです。

「バシッと肉を斬り骨を断つ擬音、ビュンとうなる刃の音が、微温的なテレビ剣法になれていたお茶の間のファンを驚倒させるに役立った。これを”音響効果斬り”と私はいう」(「週刊サンケイ臨時増刊」76年11月8日号)


 ただ、これまでそうした演出をした者は誰もいない。しかも、その音が嘘っぽく聞こえてしまうと、視聴者には迫力どころか逆効果でシラケさせてしまいかねない。そのため、五社は音響効果技師と入念にリサーチしながら、ゼロから効果音作りをしていった。
 問題となったのは「人を斬る」音だ。刀の合わさる音や振り回す音であれば、実際に刀を使って試すことで音の雰囲気は摑める。だが、「人を斬る」となるとそうはいかない。そこで五社は中国の戦場で実際に人を斬ったことのある人間を探し出し、その時の音について聞いてみた。
「裸の背中を濡れ手ぬぐいで思いきり叩いた音が最も本物に近い」
 それが経験者からの回答だった。
 問題は、その音が「本当にそう」だったとしても、視聴者に「たしかにそうだ」と思ってもらえるかどうかだ。視聴者も、ほとんどが「人を斬る」音は実際に聞いたことがない。だから、「正確な音」よりも「説得力のある音」が必要だった。そして、濡れ手ぬぐいでは視聴者にはピンと来ないのではないか……という結論に達する。
 五社と技師は、様々な音を試した。絹の布を裂いたり、キャベツをナタで切ったり、豚肉をキャベツに包んで切ったり。そうした音を調合していきながら、最も「それ」っぽく聞こえる効果音を作っていった。しかも、それは一種類ではない。突き、抜き胴、袈裟懸け……刀の動きに合わせて微妙に異なる音を作って合わせている。


 「正確さ」よりも、観る人たちを「納得させる」ような演出をする。
 著者は、五社監督が、のちに撮影した映画で、原作をほとんど無視して独自の世界をつくってしまったり、ストーリー展開が支離滅裂だったりすることも指摘しています。
 ただし、それは「弱点」とはかぎらず、そういうところも含めての、五社作品だったのだ、と。