フランスのブルキニ禁止令をめぐる問題は、同国内だけでなく、世界的な議論にも発展しており、来春のフランス大統領選の争点にもなりそうだ。議論の背景にある「政教分離」の考え方とはどのようなものなのか。フランスの憲法に詳しい井上武史・九州大学大学院法学研究院准教授に解説してもらった。


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ブルキニ論争

 フランスはこの夏、「ブルキニ問題」に揺れた。ニースやカンヌなど地中海に面する自治体の首長が海水浴場でのブルキニの着用を禁止し、違反者には罰金を課す命令を相次いで出したことの是非が問われた。論争はメディアや論壇だけにとどまらず、訴訟にまで発展した。

 ブルキニとは、ムスリム女性の全身を覆う着衣「ブルカ」と水着の「ビキニ」を掛け合わせた造語で、顔を除く頭部から足首までの全身を覆う水着である。頭髪や肌の露出が禁じられるムスリム女性のために開発された。

 自治体がブルキニの着用禁止に踏み切った背景には、2015年1月のシャルリ・エブド事件、同年11月のパリ同時多発テロ事件など、フランス国内でイスラム国との関係が疑われるテロ事件が相次いで起こったこと、とりわけ、7月14日の革命記念日にニースで起こったテロ事件がある。フランスは現在でもイスラム国によるテロの標的になっており、イスラムを想起させるブルキニは人々に恐怖と不安を与えるというのが、首長たちが抱く禁止の動機である。

 しかし、イスラムだけを標的とする禁止措置は、「平等原則」に反するだけでなく、イスラム教徒への差別や憎悪を助長するおそれがある。そこで、各自治体はブルキニを名指しせずに、表向きは公共の場で特定宗教のシンボルを掲げることが、「ライシテ原則(政教分離原則)」に違反し、許されないと主張したのだった。

 実際、訴訟で争われたヴィルヌーヴルベ(ニースとカンヌの間に位置する自治体)の禁止令は、次のように定めていた。

 「ヴィルヌーヴルベのすべての海岸において、6月15日から9月15日までの間、社会通念に適い、善良な風俗及びライシテ原則を尊重し、海水浴場の衛生及び安全に関する規則を順守する身なりを施していない者は、海水浴場に立ち入ることができない。」

 仮に同じ問題が日本で起こったとして考えてみよう。ビーチでどのような身なりをするのか、どのような水着を着用するのかは個人の自由の問題であり、行政が口出しする筋合いのものではないだろう。同じく、全身の大部分を覆うウェットスーツやラッシュガードが許されて、ブルキニが禁止される理由を説明するのは難しい。さらに、水着の選択に宗教的な意味があるのならば、重要な基本的人権である信教の自由(日本国憲法20条)に関わるため、その規制にはより一層高い必要性と合理性が求められる。

 だが、フランスではまさにブルキニに宗教的な意味があるからこそ規制の対象となった。そして、その根拠として持ち出されたのがライシテ原則である。

ライシテ原則とは何か?

 ライシテ原則とは、国家(政治)と宗教との関係についての原則で、日本の政教分離原則に相当する。この原則は1905年の政教分離法で確立され、現在では憲法で定められたフランス国家の基本理念の重要な1つに数えられる。憲法1条はフランスが「ライシテの共和国」であると規定している。

 ライシテ(laïcité)という言葉は、聖職者と対比される「人々」を意味するギリシャ語に由来する。この語源に照らせば、ライシテとは本来、「聖職者によらないこと」「世俗的であること」である。

 法原則としてのライシテ原則の内容は、「カエサルの物はカエサルに、神の物は神に返せ」という聖書の言葉で説明されるように、国家の領域と宗教の領域とを区別することである。このことを政教分離法は冒頭の2か条で具体的にルール化している。それは、

 ①個人や宗教に対して良心の自由と自由な宗教活動を保障すること(第1条)
 ②国家に対して宗教に対する公認、俸給の支払い、補助金の交付を禁止していること(第2条)

 である。

 このうち②によってフランスは、イギリスのような国教制も、ドイツのようにカトリックやプロテスタントなどの主要宗教に特別な地位を認める公認宗教制も採用できない。国家はいかなる宗教に対しても中立でなければならない。

 ライシテ原則によって、事実上の国教であったカトリック教会はそれまでの特権的な地位を失った。フランスは古くから「教会の長姉」と呼ばれるほどの伝統的なカトリックの国であるが、カトリック教会は単なる私的団体に過ぎなくなった。

 一方、ライシテ原則と言えば政教分離の側面が強調されるが、信教の自由を軽視するものではない。信教の自由は1789年のフランス人権宣言で認められた普遍的な人権としての意味を持っており、政教分離法や現行憲法でもその保障は当然の前提になっている。